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BIOTOP PEOPLE

No.30 MASAHIKO SAKATA

MASAHIKO SAKATA
BIOTOP PEOPLE No.30 MASAHIKO SAKATA
個性豊かなブランドの服にも似合う、シンプルな白いTシャツがBIOTOPに登場する。
作ってくれたのは、数々の人気ブランドでデザイナー、ディレクターとして活躍し
青山フロムファーストにあった伝説的なヴィンテージショップ
「アーカイブ&スタイル」のオーナーであった坂田真彦さん。
長年服を作り続け、世界中の古着を見て歩いたその知識と技術が凝縮されたTシャツは
シンプルながらこだわりがたくさん詰まった名作。どのような経緯で生まれたのだろう?

カリフォルニアでTシャツを作ることを思いついたLA旅行は、ラフ・シモンズとコラボしたことでも有名なアーティスト、スターリング・ルビーのアトリエを訪ねるのが目的だった。「自分の発想にはないことを考える人に会いに行くとか、やはり目的のある旅がいいですね」。最近ではウィスキー山崎の蒸留所を訪ねたという。「やはりものが生まれるところって、何か理由があるなと思いました。次は森の中にあるという白州の蒸留所にも行ってみたい」

迫村 ずっと坂田さんとご飯に行きたくて、でもなかなか自分からは言い出せなかったので、去年、人を介してようやく実現してとてもうれしかったです。

坂田 去年の10月くらいでしたね。それまではバッタリあって立ち話程度でしたが、あのときはけっこうがっつり飲んで話しましたね(笑)。

迫村 僕は、坂田さんが以前青山のフロムファーストに出していたアーカイブ&スタイルという古着屋さんが大好きだったんです。雑誌か何かのインタビューで読んだのですが、なぜあえてラグジュアリーブランドが旗艦店を出すようなエリアに古着屋を出したのか?と聞かれて「あのエリアに来る人なら、それが数十万円もする新品であろうが、古着のTシャツであろうが、同じ価値を見出すと思うから」とこたえていて、とても共感したのを覚えています。僕自身、BIOTOPをただ高いものを置くだけの店にはしたくなくて、たとえばレディスでいえば、ザロウのようなハイエンドなブランドに古着のTシャツをあわせるとか、全身をブランドで固めるよりラフなものとミックスしてほしいなと思っているんです。それで坂田さんと何か一緒にできないかとずっと考えていました。なんとなく、古着屋のポップアップとかをイメージしていたのですが、坂田さんが「何か一緒に作ろう」と言ってくださった。それでできたのが、今回の白いTシャツです。

「この間連れていっていただいた渋谷のバー、あれ以来愛用させていただいています」

坂田 僕がやっていたアーカイブ&スタイルも、デッドストックのTシャツを定番で扱いつつ、イタリアのニットとか、イギリスのテーラードジャケットとか価格や国に関係なく気に入ったものを集めていたので、迫村くんが考えるセレクトショップと考え方は近かった。ラグジュアリーにラグジュアリーを合わせるとちょっと嫌みになるときがあるから、もっと抜け感を作りたいというか、いい意味でチープシックな店というか。だから迫村くんから、何かシンプルなものを作るとしたらどういうのができますか?と聞かれ、それはものすごく高度なリクエストだなあと(笑)。ちょっといったん考えるわって、そのときは持ち帰ったんだけど。

迫村 でもそのあと、すぐに連絡をくださいましたね。そういえばあのとき食事をした後、2軒はしごしてけっこう深い時間まで飲んでいたのに翌日からLAに行くとかで、ちゃんと行ったかなと心配していました(笑)。

坂田 そう、ほとんど寝ないままLAに旅立って(笑)、そこでふと、LAでTシャツ作ったら、迫村くんのコンセプトに合うものができるんじゃないかとひらめいた。すぐに向こうの知り合いに相談して、カリフォルニアでTシャツを作ろうと決めたんです。

迫村 僕の言っていたコンセプトというのは、アーカイブ&スタイルで見た、デッドストックのTシャツやいろいろなメーカーのTシャツが無造作に積んである、あの感じ。男も女も関係なく、好きなものを選んで買えるというあの感覚がすごくいいなと思っていたので、そういう気分で買えるTシャツが欲しいと話したら、本当にかたちにしてくれた。たった1枚の白いTシャツですが、職人技で見事に仕上げてくださったので感動しています。

胸ポケットの内側にミリタリーのタグが付いており、ネックの後ろには、アーカイブ&スタイルのロゴがプリントされている。サイズはS、M、Lの3サイズ。¥6,000(税別)。

坂田 シンプルなものって作るのが難しいんですよ。サイズ感、生地、ステッチ、バランス、それぞれに何かこだわって作らないと、最高のシンプルは成立しない。それで参考にしたのはミリタリーのTシャツ。軍から支給されるものなので、何年にどこで作られてサイズはいくつとタグにプリントされているんですが、デッドストックを世の中に出すときはその情報をマジックで消すんです。その無造作な感じがなんだかかっこいい。タグはテキサスでしか作れないので、わざわざテキサスの会社にオーダーしました。そうやってひとつひとつこだわって作らないと、BIOTOPに置くのにふさわしい商品にはならないと思ったので。結果、かなり満足のいくものになりました。

迫村 本当にシンプルなのに、いろいろこだわりが詰まっていて素晴らしい。僕は特にネックの太さが気に入っています。このバランスはすばらしい。さすがです!

坂田 モックネック風にしてあって、ちょっと詰まっていたほうがかわいいし、よれてきたときもいい感じかなと。ミリタリーのタグを胸ポケットの内側につけたのは、しゃれというか、まあデザイナーとしてのこだわりです。白いTシャツなんて世の中にたくさんあるから、値段がどうとかではなく、存在価値のあるものにしたかった。たとえば、アメリカのTシャツって、二本針のステッチなんですけれど、あえて90年代のすくい抜いのシングルステッチにしてみたり。そういう細かいところにこだわって、まったくインスタ映えしないTシャツになりました(笑)。いいでしょう?そんなにフォロワー増やさなくても(笑)。

迫村 まさに手売りしたくなるTシャツです。最初は、BIOTOPにデッドストックのTシャツを積んでおいたらかっこいいから、坂田さんに買い付けてもらおうくらいに考えていたのに、「だったら作ろうよ」と言われた。新品だと僕の意図していたものとは違うなと思っていたから、じっさいできたものを見て驚きましたよ。あまりに僕の理想にバッチリだったから。求めていたのはこれだ!と思いました。今までいろいろなブランドでたくさん服を作っていらしたと思うんですけれど、その技術と知識がこの1枚の白いTシャツにこめられている。いや、泣けますね。パッケージまでかっこいいし。

坂田 パッケージは、アナログレコード店が使うようなクラフトペーパーで、僕が行ったことがある州の名前や素材の記号を印刷しました。

迫村 ところで、坂田さんといえば古着に精通しているというイメージなんですが、いつくらいから古着好きになったんですか?ファースト古着は何でしたか?

坂田 スタイルカウンシルに憧れていて、ポール・ウェラーのステンカラーコートスタイルがかっこいいなと思い、まねして買ったんだけど全然似合わなかった、というところから始まります(笑)。何で似合わないんだろう、と思ってサイズや作りを研究するところから古着に入っていきましたね。

迫村 ベタにデニムとかではなくコート、というところがさすがだなー。ヨーロッパの古着も見てまわったんですか?

坂田 20歳のときに初めてヨーロッパ旅行をして、ロンドンのケンジントン・マーケットに行ったんです。床屋やカフェと並んで古着屋があって、そこで当時はやっていた紺ブレを買ったんですが、イギリス軍のブレザーのボタンの話などちょっとしたうんちくを、店のパンクヘアのお兄さんが細かく教えてくれた。古着好きというより、単純にファッション好きという感じの人が教えてくれたのがなんだかうれしかったですね。その店は90年代初頭にはなくなったけれど、のちに川久保玲さんがインタビューで、ドーバーストリートマーケットを作るとき、80年代のケンジントン・マーケットのファッションカオスを参考にしたと言っていました。いい時代のケンジントン・マーケットで実際に見て覚えたことを、僕もひとつひとつ形にして伝えられたらいいなと思っています。

服を作るとき、日本ならこう、イタリアならこう、とそこでしか作れない味わいがあるそう。「今回のリクエストにふさわしいのはカリフォルニアと感じたので、20年ぶりくらいにカリフォルニアでもの作りをしました」

迫村 ファッションのキャリアはいつスタートしたんですか?

坂田 ファッションの専門学校に行っていた21歳のときに、ヨウジヤマモトのショーを手伝ったり、イッセイミヤケの倉庫でバイトしたりしていましたね。そのあと山本寛斎さんのアシスタントをしばらく務めました。あの頃、バブルがはじけて資金集めもたいへんだった時代に、ロシアの赤の広場でショーをやりたいと言い出して。地道にスポンサーを集めてショーを実現させたのはすごいと思いました。いまだに赤の広場の動員数って、1位はソ連崩壊で、2位は12万人を集めた山本寛斎さんのショーですからね。そのときに僕は、仕事は言い訳しちゃいけないということを学びましたね。面白いことをやりたいと思ったら、予算がないとか言ってないで動くべきだと教わった気がする。

迫村 今でも古着は買いますか?

坂田 買うね。海外からお客さんがきたら案内することが多いし、原宿行ったり、高円寺行ったり。見ているとどうしても欲しくなる。

迫村 買い物の仕方って最近変わりましたか?

坂田 ネットでも買うようになりましたね。スエットパンツとかね。ミスターポーターとかすごいですよ、手書きで「Mr. Sakata」って書いてくれる(笑)。お店での買い物は、実際手にとって見られるし、スタッフとコミュニケーション取ったりできて楽しいけれど、ネットはネットで違う発見があっていいですね。比べて議論するのはナンセンスだと思う。

迫村 そうですね。もはや選べる時代ですよね。そういう意味では今、僕は星付きレストランより酒場に興味あるし、シルケット加工したTシャツより、坂田さんが作ってくださった、シンプルなTシャツが気分なんです。自然とローファイなほうに興味がいっている。

坂田 迫村くんのオーダーの仕方は、他の店と少し違ったね。他の店でもよく別注とかを頼まれたりするんですが、たいていはディテールへのこだわりを熱く語る。でも迫村くんは「店に置いたときに、いい意味で違和感があるものを作ってほしい」と言っていた。店に置いたときの見え方、お客さんにとっての見え方、そういうことを優先していて、ああ、本当にこの店が好きなんだな、空間を大切にしているんだなと思いました。それはすごく正しいことなんじゃないかな。

迫村 ありがとうございます。本当に今の気分が凝縮されたTシャツなので、お客さまにもぜひ感じてほしいです。これが売れてリピートして、その間に次の新作が出て、2年くらいたったらいつしか店にカットソーが積まれるコーナーができていた。そんな空間ができたらいいなと思っています。末長くよろしくお願いします。

パッケージも坂田さんが考案。アーカイブ&スタイルのロゴの下にあるW、P、C、P/Cは、ウール、ポリエステル、コットンといった素材表記で、その下はアリゾナ、カリフォルニア、コロラド、ハワイなど、坂田さんが行ったことのあるアメリカの州名。「行った州で何か作れたら面白いなと思って」

Photo / Yosuke Ejima Composition / Ayumi Machida

MASAHIKO SAKATA

1970年、和歌山生まれ。2004年にデザインスタジオ「アーカイブ&デザイン」を設立。2006〜2012年、青山フロムファーストで同名のヴィンテージショップのオーナーも務める。数々の人気ブランドのディレクションを手がけるとともに、オリジナルの生地開発からプロダクトデザイン、空間ディレクションまで、幅広い分野で活躍中。

Interview with

迫村 岳
(BIOTOP ディレクター)

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