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BIOTOP PEOPLE

No.44 TAKASHI KOBAYASHI

TAKASHI KOBAYASHI
BIOTOP PEOPLE No.44 TAKASHI KOBAYASHI Treehouse Creator
BIOTOP白金台の中庭にそびえるツリーハウスは、
2010年のオープンからショップを象徴する存在だ。
ホストツリーであるクスノキの成長にともなう改修作業のためしばらくクローズしていたが、このたびようやく完成。
このツリーハウスの制作と、今回のリノベーションも手がけたツリーハウス・クリエイターの小林崇さんに
ツリーハウスに対する思いや、新しくなったツリーハウスのこだわりなどを聞いた。

迫村 2010年に白金台のBIOTOPがオープンしましたが、そのときに中庭にツリーハウスを作っていただきました。今回、年月が経ち老朽化したツリーハウスをリノベートしていただき、ようやく完成したので改めて小林さんとツリーハウスについてお話を聞かせていただきたいと思います。今まで、どのくらいの数のツリーハウスを作ったのですか?

小林 260くらいかな? 

迫村 そんなに!? 国外にもありますよね?

小林 オーストラリア、台湾、中国、カンボジア。LAではウエストハリウッドのサンセット大通りに移転したフレッド・シーガルの1階部分ツリーハウス風にデコレーションしました。

迫村 そもそもツリーハウスを作るようになったきっかけは何だったのでしょうか? 最初に作ったのはどんなツリーハウスでしたか?

小林 30代半ばまで古着屋をやっていて、よくアメリカに買い付けに行っていました。旅をして、途中キャンプもしながらスリフトストアなどに寄って、そこでストーリーのあるものを見つけてきては、それをストーリーごとお客様に提供するというスタイルでした。それがしだいに、買い付けに行くと相手が売りたいものを用意して待っているような状態になり、どんどんビジネスっぽくなってしまって、これでいいのかなという疑問がわいてきた。何だか自分の居場所が欲しいなと思っていたところ、ある日、原宿にあった店の外に生えていた1本の木を見て、ふと何かできそうだなと思ったんです。それで木を囲んで小屋を作り「ESCAPE」というバーにしてみました。それが最初かな。

生まれ変わったツリーハウスにはテラスも設置。ここから見る都会の風景もまた味わい深い。

迫村 ツリーハウスを作るノウハウはどうやって覚えたのですか?

小林 当時はノウハウが全くないし、ツリーハウスという名称すら知りませんでした。「ESCAPE」は、とりあえず柱を入れて、借りていた木造アパートの壁をぶち抜いて繋げたんです。だから木の上に家がのっているタイプではないんです。

迫村 古着の買い付けをしながら、同時に海外のツリーハウスも見て回ったりしたんですか?

小林 そうでもなかったんです(笑)。「ESCAPE」を作ったものの古着の買い付けは続けていて、その頃はアメリカ西海岸よりも人が少ない東海岸まで行っていました。あるときボストンで、書店に併設されたカフェに入ったところ、“今月のリコメンド”コーナーにピーター・ネルソンというツリーハウス建築家の写真集を見つけたんです。「自分と同じことをやっている人がいる!」と驚いて写真集を見てみたら、社会のメインストリームではない人たちが自分のライフスタイルを表現するためにツリーハウスを作っていた。これは僕と考え方が近い! と感じ、この本を翻訳したい、この人に会ってみたいと思いました。

迫村 アメリカにいくつもツリーハウスを建てている方ですね。

小林 そんなとき「BE-PAL」というアウトドア雑誌に、“ピーター・ネルソン、来日”という情報を見つけたんです。ピーター・ネルソンが茨城県茂木市でツリーハウスを作るという読者参加イベントの告知でした。すぐに編集部に電話して、ピーターに会わせてほしいと頼みました。すると「ぜひ読者イベントに参加してください」と。そういうんじゃなくてピーターと直接話がしたいと何度も連絡しているうちに、来日直前になって「予算の関係でピーターの制作チームを全員呼ぶことができないので、日本の大工さんたちに参加してもらうことになったんですが、そのコミュニケーションなどを手伝ってほしい」と言われ、ようやくスタッフ側で参加できることに。それで2週間くらいピーターのツリーハウス作りを手伝うことになりました。そのときに、じつは自分もツリーハウスを作ったという話をしたら、わざわざ原宿の店まで来てくれて「すごくいいね!」とほめてくれました。日本の木造建築に興味があるというので、一緒に飛騨や京都、奈良に行ってすっかりなかよしになったんです。「そういえば今度、ワールド・ツリーハウス・カンファレンス(WTC)というイベントがオレゴンであるから、日本代表としてきたらどう? 」と誘われ、行くことになりました。

「ツリーハウスは下から見上げるものなので、下から見たときのバランスがデザイン的に大事」(小林さん)

迫村 世界中のツリーハウス好きが集まるイベントですね。そこでツリーハウスのノウハウを覚えたのですか?

小林 それから毎年WTCに参加していて、2泊3日くらいのイベントが終わるとアメリカでツリーハウス制作中の人を訪ねたりして、いろいろな情報を日本に持って帰るようになりました。でも自分はツリーハウスのビルダーになりたかったわけではなく、もちろん大工でもなく、建築の知識があるわけでもない。ただツリーハウスがあるというライフスタイルに憧れていたんです。WTCで出合ったアメリカの人たちの話を聞いていると、子どもの頃、自宅のバックヤードに作ったツリーハウスがまだあるとか、そういうカルチャーがすごくうらやましたかった。でも日本で作ろうとしたら。きっと木を傷むとか安全性がどうとかコンプライアンスが厳しいんじゃないかなと思っていました。だから最初の頃は、山を持っている人のところを訪ねて行って木を使わせてほしいと頼んで、自腹でツリーハウスを作っていましたね。そうしているうちに、世の中がロハスとかエコとか言い始めて、そのツリーハウスがその象徴として注目されるようになりました。

迫村 時代が追いついてきたんですね。

小林 それから数年後、「ネスカフェ ゴールドブレンド」のCM出演のオファーが来て、少し世間に顔が知られるようになりました。地方に行っても「あのCMの人ね」と言われたり。出演料をいただいたので、思い切ってそのお金でツリーハウス・クリエーションという会社を作ることにしたんです。ちょうどその時期から世の中もどんどん変わり、ツリーハウスが広く認知されるようになりました。最近では幼稚園に作りたいとか、コロナ後は宿泊施設として作りたいというニーズも増えてきましたね。

ハウスの中にはベンチとテーブルを設置。大人3〜4人が入れる広さ。「海外のツリーハウスはもっと大きくて、3LDKくらいの住宅が木にのっていたりします」

迫村 ツリーハウスを作っていて、どんなときが楽しいですか?

小林 最初に自分の店の前にツリーハウスらしきものを作ったとき、自分のなかで想像以上に存在感があったんです。雨で濡れると不安になったり、台風が来そうになると大丈夫かなと心を寄せたり。生きている“木”という存在にとても親近感がわきました。もともと人間とのコミュニケーションは得意なほうではないので、一緒にいてくれて話さなくても大丈夫な木の存在感がとても心地よかったんですね。いつしか木を中心に人が集まるようになり、なんとなく居場所ができた気がしたので、これはほかでも作ってみる価値はあるなと。地面の上はルールでがんじがらめだけど、木の上はルールなんかなくてすごく自分に合っていると思いました。もしかすると、これを続けたら自分の生きた足跡を残せるかも? と。

迫村 ではツリーハウスを実際に作りながら、さまざまなノウハウや人脈を築いていったんですね。

小林 オレゴンのWTCには毎年行っていたし、いろいろな仲間と常に情報交換していました。でも最初はアメリカでも「ツリーハウスを作る会社? 無理じゃない?」と言われていましたが、ピーターがまず会社を作り、その2年後に僕も続きました。あまり理解してくれる人はいなかったけれど、ピーターにはいろいろ相談できたので、先駆者がいたのはラッキーでしたね。

中から見上げると木の幹が天井を貫いている。ガラス張りなので光もたっぷり。夜はライトアップされる。

迫村 ツリーハウス作りに興味ある人は日本にもたくさんいると思うので、多くの人が小林さんのもとに集まってきたのでは?

小林 つぎつぎ人が集まってきて制作に参加してくれましたが、ツリーハウスを作る場所は地方が多いし、制作にだいたい1カ月半〜2カ月はかかるので、その間は合宿のようになります。片手間にはできない仕事なんです。僕のツリーハウス作りは皆との合作なので、ここに窓があったらいいんじゃない? ステンドグラスだったら光がきれいかも……などと意見を言い合いながら進めていきます。ふだん建売住宅などの仕事が多い大工さんたちにとっては、クリエイティブな作業はとても楽しいようです。ツリーハウスの下でドラム缶の風呂に入るといった男臭いアウトドアのイメージではなく、イタリアのワイナリーにあるようなツリーハウス。色合いとかデザインとか、僕が世界中を旅して学んだものを経験値として生かしたいです。

迫村 小林さんの提案するツリーハウスは、モダンなライフスタイルとしてのツリーハウスですよね。まさにBIOTOPの考え方とぴったりです。今回のリノベーションではどこにこだわったのですか?

小林 もしハウスが部分的に傷んでいたら、そこだけ変えようと思っていたのですが、いざ開けてみたら予想以上に木が成長して食い込んでいました。これは木にも家にもよくないと思ったので、風の影響を受けないようにハウスを作り直しました。以前より大きくなり、屋根付きのデッキもあります。3〜4人入れるかな。長く居られるスペースにしたので、飲み物を持ち込んで誕生日会などできたらいいなと思いました。ツリーハウスのちょうど向かい側にあるLIKE(BIOTOP3階のレストラン)の窓から見たときにも、木がきれいにハウスに貫通しているのが見えて、ツリーハウスらしい景観になっています。

BIOTOP 3階にある「LIKE」の窓から見たツリーハウス。木が貫通しているのがわかる。

迫村 ところで小林さんのプライベートが全く想像できないのですが、ほとんど現場にいるんですか?

小林 そうですね……、ほとんど家にいないですね。下手すると1年のうち10カ月くらい。ツリーハウスを1つ作るのに2カ月くらいかかるし、作り終わってもメンテナンスがあります。相手は生きていて動いているので、台風のあとなどは確認したいし。閑散期の冬場には、あちこちメンテナンスして回ります。

迫村 今後のヴィジョンを聞かせていただけますか?

小林 自分たちのための基地を作りたいんです。風通しのいい、できたら海が見える山の上みたいな場所に。ツリーハウスはオーナー制度にして、オーナーさんが留守のときの運営も行う。そこにカフェや倉庫やワークステーションも作り、日本版WTCを開催する。余った素材で子どもたちがミニチュアのツリーハウスを作ったりするワークショップもやりたいですね。そんな場所を今探しているところです。

Photo / YOSUKE EJIMA Composition / AYUMI MACHIDA

小林崇
Takashi Kobayashi

株式会社ツリーハウス・クリエーション代表。オレゴンで培った知識と感性をもとにツリーハウスを創作する日本のツリーハウス界の第一人者。世界各地を放浪する生活を続けていた’94年、オレゴン州で毎年開催されるWorld Treehouse Conferenceに日本から唯一参加するようになる。以来これまでに国内外250棟以上のツリーハウスを制作。日本にとどまらずグローバルに、各地の風土や樹木に適したツリーハウスの制作にあたりながら、既存の枠に囚われない自由で豊かな世界観を提案し続けている。Instagram:@treehousecrations_official

Interview with

BIOTOP ディレクター
迫村 岳

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