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BIOTOP PEOPLE

No.26 MASAHIRO NOGAMI

MASAHIRO NOGAMI
BIOTOP PEOPLE No.26 MASAHIRO NOGAMI 写真家
1960〜70年代の東京の街、はっぴいえんどをはじめとするアーティストのスナップ、
そして80年代からはNYの風景を撮り続けている写真家・野上眞宏さん。
このたびBIOTOPでは、野上さんの写真展の開催が決定。
日常をアートに変える作品であり、時代のムードを繊細に伝える記録でもある写真は
ノスタルジックでありながら、いまなお新鮮な魅力を放つ。
数々の傑作は、どのようにして生まれたのだろう。

迫村(以下S) 野上さんの写真集アプリ『SNAPSHOT DIARY : 1968-1973』を初めて拝見したとき、僕自身はっぴいえんどが大好きなこともあって、彼らと当時の東京の風景が織りなす世界にとても惹かれたんです。なんとかBIOTOPで写真展ができないかなと奔走しまして、今回ようやく実現にこぎつけました。写真を撮るようになったきっかけや、はっぴいえんどを撮るようになった経緯など、じっくりお聞きしたいです。

野上(以下N) 父が写真好きだったので、幼い頃からカメラにはなじみがありました。立教高校に通っていた1965年の夏にアメリカを旅したんですが、そのとき向こうで撮った写真を学校の先生に見せたら「プロ並みですごい」とかなりほめられまして。それでなんだか自信ついちゃって(笑)、立教大学に入ってすぐ写真部に入部しました。

S 大学に入ってから本格的に始めたんですね。

N いや、それが入部して1ヶ月ほどたった頃、撮った写真を見せたところ、お前の写真は内容がないと言われました。70年安保闘争の頃で、全共闘や学生運動など、社会に対して問題意識のある写真を撮るのがよしとされている時代に、僕はノンポリで子供とか撮っていたんですね。それで自信をなくして撮るのをやめて、細野(晴臣)くんとかと遊ぶようになった。試験が終わったら新宿に繰り出して、昼間から踊りまくったり。それで遊びの輪が広がって、ミュージシャンの友達が増えていきました。

S 細野さんとは、高校時代から親しかったんですか?

N 名前は知っていましたが、同じクラスになったことがなく話したことはなかったですね。ただ、すごいやつがいるという噂は聞いていて、実際、文化祭で彼の演奏を聴いたときは驚きました。立教大学で同じクラスになって、僕も音楽が好きだし、気があって話すようになりました。あの頃の音楽ってね、音楽以上の存在だったんですよ。ビートルズのファンに象徴されるように、髪を長くして、服をまねして、生き方や考え方まで、音楽を中心にすべてが巻き込まれて一緒に動いていくような勢いがあった。だから誰よりも音楽に詳しい細野くんと友達でいるのは本当に楽しかった。だってね、細野くんが聴いている音楽は、どれも最先端でかっこいいんです。最初は地味に感じても、聴いているうちにぐっとくるような。だからすごく信用していました。

S 新宿あたりで遊んでいるうちに友達が増えた、とおっしゃっていましたが、具体的にどんな出会いがあったのですか?

N 音楽関係の人が多かったんですが、細野くんといっしょにディスコに行っていたのは柳田くんという友人です。彼の弟は柳田ヒロというミュージシャンだったこともあり、柳田くんはロックのコンサートを主催していました。それでオーディションをやって、集まってきたのが、鈴木茂くんであり、小原礼くんであり。

S それだけ音楽が好きで、自分も音楽やりたいと思ったことは?

N もちろん思いましたよ。でもね、細野くんなんかは、ラジオから流れてくる音楽をそのまま弾いちゃうんですよ。音楽をやるとはこういうことか……。僕には無理だと思って手を出しませんでした(笑)。それで自分ができることはなんだろうと考えたら、写真かなと思ったわけですが、それもすぐやめちゃって(笑)。

S 再び撮り始めたきっかけは?

N 大学3年になったある日、細野くんが松本隆くんのバーンズというバンドに呼ばれて、青山のクラブで演奏しているのを聴きに行ったんです。そのあとみんなで夜中に繰り出して、六本木のハンバーガーインで食事をし、あちこちで遊んだあと最終的に僕の家に来ることに。そうしたら、東京ではめずらしく霧が出てきたんです。「写真撮ろうか」と提案したら、松本くんが「そうだそうだ」とのってきたので、押入れからカメラを引っ張り出して、久しぶりに撮影しました。その数日後、またバーンズの演奏を聴きに行って、そのときにふと「こういうことをやっているのも今のうちだろうな。10年後、サラリーマンになったときに笑えるから撮っておこう」と思って、バーンズの写真を撮りました。それがきっかけでミュージシャンの写真を撮り始めたんです。そのときも、そのあとも、僕の写真はいつも“未来から今を見ている”ような感じ。「あ、このシーンは撮っておいたほうがいいな」と思ったらシャッターを押す、そういうスタイルなんです。

『SNAPSHOT DIARY : 1968-1973』を見て、その時代をリアルタイムで知らないのになぜか懐かしくなったという迫村。「ファッション写真としても注目すべき作品がたくさんありますね」

S 松本隆さんも同級生なんですか?

N 彼は2つ下です。僕らが3年のときに新入生で、ものすごい文学少年でした。『ドグラ・マグラ』とかいろいろな本をすすめてくれましたよ。それで細野くんが、松本くんに詩を書かせた。

S 大滝詠一さんとはどこで出会ったんですか?

N 大学生のとき、細野くんの家に遊びに行ったら、誰かの紹介で大滝くんが来ていたんです。ちょうど僕が買ったばかりのローリングストーンズのピクチャーレコードを持っていたら、めちゃめちゃ詳しく話してくれて驚きました。初対面からもう、この人は音楽オタクだなと思いました(笑)。当時はサイモン&ガーファンクルみたいなフォークグループを作りたいと言っていましたね。

S はっぴいえんどの結成は大学卒業後ですか?

N はっぴいえんどの前に、細野くんはエイプリル・フールというバンドを始めて、大学は留年しました。僕はいったんホテルに就職を決めたんですが、やはり写真が撮りたくなってスタジオに就職しました。1年くらいして、スタジオを辞めて写真家の鋤田正義さんのアシスタントになったんですが、その頃、細野くんはまだ立教に在学中で、はっぴいえんどというバンドを始めていたので、僕もはっぴいえんどの写真を撮るようになりました。

S はっぴいえんどの音を聴いたとき、どう思われましたか?

N エイプリル・フールはどちらかというと英国っぽいハードロック系でしたが、細野くんは「これからはウエストコーストだ」といって、バッファロー・スプリングフィールドとかを聴かせてくれました。初めてはっぴいえんどの音を聴いたとき、まさにバッファロー・スプリングフィールドみたいですごくかっこよかったのを覚えています。ちょっとファズがかかったギターとか、いい感じでしたね。はっぴいえんどはメンバーが決まるまで紆余曲折ありましたが、最終的に細野くん、松本くん、大滝くん、鈴木茂くんという、最高のメンバーになったんです。

S 東京の風景がすごく印象的です。今はない風景もたくさんありますが、当時、特に好きな場所はありましたか?

N もう東京中どこでも行きましたね。細野くんか松本くんが運転して、FENを聴きながらあちこちへ。ドライブに飽きたら六本木のジョージへ行ってソウルミュージック聴いて、ハンバーガーインでハンバーガーを食べて。六本木はまだ車も少なくて静かでした。いつも一緒にいるから、僕はずっと彼らを撮っていた。それがあとになって彼らの貴重な記録になったのは、奇跡なのかもしれません。

iPad写真アプリには4000枚を超える作品は収録されている。今回の写真展では、その中から東京の風景を中心に、約40枚を野上さんがセレクトした。

S まさに、“未来から今を見ていた”のですね。

N だいぶあとになりますが、2002年に僕が出した写真集を細野くんに見せたとき、「この写真いいね」とかふつうにほめてくれると思ったら、彼は「野上はその場にいる才能があるね」と言ったんです。そのときは「どういうこと?」と思ったけれど、あとでよく考えたら、それって写真家にとってもっとも大切なことなんじゃないかと気づきました。その場に居合わせなければ写真は撮れないですからね。細野くん流にほめてくれたんだなと思いました。

S 野上さんはフリーの写真家になったあと、アメリカに行かれましたね。

N 1974年、27歳のときです。その頃、若いときに外国行って帰ってくる人がかっこよく見えて、僕も行かなきゃと(笑)。2〜3年のつもりが、30年になってしまいました(笑)。最初は西海岸に行って、それからヒッチハイクで東海岸へ。

S ヒッチハイク!?こわくなかったですか?

N すごくこわかったけれど、『イージーライダー』を見ていたから、絶対やらなきゃと思って(笑)。無事にたどりついたら、僕は運がいい人間だと自信が持てる、と思って挑戦しました。ちゃんとたどりついたので、かなり自信がつきましたよ(笑)。3年くらいワシントンDCにいて、1978年にNYに移りました。

S その頃、YMOはNYツアーをしましたよね?

N そうなんですよ。NYにいたら、細野くんがYMOというバンドとしてNYに来るじゃないですか。びっくりしましたよ、世界の細野かー、出世したなって(笑)。それでもちろん写真を撮りに行ったんですが、そこにはたくさん報道関係者がいてフラッシュを浴びていて、なんだ、もう僕が撮る必要はなくなったんだなと思いました。そうか、僕はずっと「細野を撮らなきゃ」という使命感を感じていたんだ、とそのときに思ったんです。ちょうどNYの風景写真も撮りはじめていた頃だったので、なんだか肩の荷をおろしたような気分でした。僕は若い頃ずっと、誰かを撮るということは結局その人に従属しているんじゃないかと感じていた。自分だけの写真を見つけなきゃと苛立って、それを探しにアメリカへ渡ったんです。オリジナルのテーマを持ったアーティストを目指して。でもね、今ならわかります。誰かを撮影して写真に残すということも、ひとつのりっぱなアートなんですよね。

作品をモチーフにしたTシャツを限定販売。左は松本隆さんのドラム、右は細野晴臣さんのベース 各¥7,000+TAX

S 今回BIOTOPで開催する写真展のタイトルは「BLUE」ですが、これはどんな意味が込められているんですか?

N ジョニー・ミッチェルのアルバムからとったんですが、同時に「青春」の「青」でもあり、「憂鬱」を意味する「青」でもあります。展示は40〜45点くらい、写真集は184点掲載する予定です。はっぴいえんどだけではなく他のバンドもいるし、東京の風景もたくさん出てきます。1960年代後半から70年代前半の東京で、若者はこんなふうに生きていたんだよということが伝わればいいなと思っています。

S 野上さんの写真に写っている東京が、すごくかっこよくて。街並み、ギター、ヒッピーっぽい若者……など、今のファッション写真にも通じる繊細さとセクシーさがある。僕のようにリアルタイムを知らなくても当時のことを学べて楽しめるし、僕より上の世代なら懐かしい思いをかみしめるはずです。野上さんが撮ったアートでもあり、貴重な記録でもある写真を、この機会にぜひ多くの方に見ていただきたいです。

野上眞宏 写真展「BLUE : TOKYO 1968-1972」
写真家・野上眞宏氏が2014年に発表したiPadの写真集アプリ『SNAPSHOT DIARY : 1968-1973』に収録された4000点の写真の中から、約40点をセレクトし、1968年から1972年の東京のカルチャーシーンを振り返ります。銀座、原宿、渋谷、六本木といった街の風景や、はっぴいえんどを始めとするミュージシャンなど、さまざまな被写体が時代の空気を伝えます。
また、写真展開催にともない、作品をモチーフにした限定Tシャツや、新たに編集した写真集を先行販売します。

2018年5月19日(土)〜5月30日(水)@BIOTOP
2018年6月15日(金)〜6月26日(火)@BIOTOP OSAKA

Photo/Yosuke Ejima  Composition/Ayumi Machida

野上眞宏

1947年東京生まれ。立教大学卒業後、スタジオ勤務を経て写真家に。学生時代から、はっぴいえんどを始めとするミュージシャンや、東京の風景を撮影する。27歳で渡米したあとはNYの風景を撮影し、あわせて30年以上をアメリカで過ごす。著書に『NEW YORK – HOLY CITY』(美術出版社)、『SNAPSHOT DIARY : 1968-1973』(ブルースインターアクションズ)など。2014年にはiPadアプリ写真集『野上眞宏のSNAPSHOT DIARY』を刊行。

Interview with

迫村 岳
(BIOTOP ディレクター)

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