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BIOTOP PEOPLE

No.18 KAIE MURAKAMI

ムラカミ カイエ
BIOTOP PEOPLE No.18 KAIE MURAKAMI クリエイティブディレクター
BIOTOPの広告ビジュアル・ディレクションをはじめ、
ファッションやビューティの分野でブランディングやコンサルティングを
手がけるクリエイティブディレクターのムラカミカイエ氏。
ファッションシーンをクールに俯瞰する目と、
ファッションへのきめ細かい愛情を併せ持ったカイエ氏に
ファッションの現在・過去・未来について聞いてみました。

迫村(以下S) カイエさんにディレクションしていただいた広告ビジュアル、とても評判よかったです。ありがとうございました。最初に作っていただいたときは、白金がリニューアルしたばかりで、よりモード感を出したいと考えていた頃。ちょうど2店舗目となる大阪もオープンするというタイミングだったので、何かBIOTOPらしいビジュアルを打ち出したいと思っていました。

カイエ(以下K) お題は「グリーンとモード」でしたね。

S はい。やはりBIOTOPといえば「グリーンとモード」。それをうまくビジュアルにしてくれるのは誰だろうと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのがカイエさんでした。軽い言い方になっちゃうけど、カイエさんの持つ「モード感」がすごく好きなんです。ぎらぎらしていなくて、自然に入ってくる心地いいモード感。

2015年春夏のBIOTOP広告ビジュアル。アートディレクションはカイエ氏、写真は小浪次郎氏。

K リニューアルする前から、BIOTOPには、ひとりの客として伺っていました。愛用している日用品が揃っていたり、肩に力が入っていない成熟感が気持ちよくて。大堀(伸)さんの空間デザインでリニューアルした後は、ますます好みになって、ミニマルな空気感と洗練されたファッションと生活雑貨、生い茂ったグリーンのコントラスト…僕の好きだったミラノのディエチ・コルソコモを思い出します。広告ビジュアルを作りたい、というお話をいただいたときに、まず考えたのは、この場の持っているムードのようなものを写真でどう表現するかでした。

S セレクトショップなのに、植物の写真だけで表現する、という考え方は画期的でした。

K BIOTOPには、オーストラリア由来の植物がたくさんあるでしょう?家の植栽を考えていた時にたまたまメルボルンに行くことがあって、現地の植物園に足を運んでは、気に入った草木の品種をメモしたりしていたんですね。「これ、BIOTOPで見たことあるなあ…」っていうことが多くて、色々とリンクする部分があったんです。その帰国直後にビジュアル制作のお話をいただいたので、運命的なものを感じたのを覚えています。

S そう言っていただけるとうれしいです。それで必然的に撮影がオーストラリアになったんですね。

K 植物の力強さはもちろん、その成長を支える風や光、空気感などのエレメントやアンビエンスを切り取ることにフォーカスしました。フォトグラファーはBIOTOPのコンセプトをよりモダンに表現できる人…ということで、小浪次郎くんにお願いしました。小浪くんとは、人物が登場しないファッションフォトの形もあるよね、と話したりしていて。

SIMONEの以前のオフィスは白金にあったので、昔からよくBIOTOPに立ち寄っていたというカイエ氏。

S カイエさんはもともと三宅デザイン事務所にいらして、どんな仕事をされていたんですか?

K デザイナーとして入って、しだいにキャンペーンディレクションやコレクション演出なども兼務するようになりました。先輩には吉岡徳仁さんなど他分野の方もいて、多様な才能を育てる社風があったんです。そういった環境で、音楽や演劇をはじめ、デジタルな事象に興味があったのもあり、いろいろなことに携わらせてもらいました。

S いろんなことをするのは会社の方針だったんですか?それともカイエさんが勝手に?(笑)

K 勝手というと聞こえは悪いけれど、そうですね(笑)。それだけ自主性や提案力を求められる会社でもあったので、与えられた仕事をどんどん広げて、仕事場を区切り、才能のある人を見つけて部下にしたり、とにかく精力的に動いていたことで、会社も人を増やしてくれたり設備を整えてくれたりして。

三宅デザイン事務所には通算で9年在籍しました。責任は重かったですが、十分サポートしてもらえたし、普通ではできない刺激的な経験を沢山させてもらいました。

S 独立しようと思ったきっかけは何だったんですか?

K 当時の自分が等身大で共感できるものを手掛けたかったというのがあります。あとは、ストリート、ラグジュアリー、それにコンテンポラリーと様々なブランドの方法論をすべて垣間見てみたくて。他のクリエイターたちがどのようにクリエイションし、ビジネスに繋げているのかに興味があったんです。

あとは、何よりも衣服以外のことに挑戦してみたかった。ファッションとデジタルの融合によるソリューションを作ることは何よりも必要だと思っていたので、まずは外に飛び出してみようと。

S なるほど。それでSIMONEを立ち上げたんですね。

K 1年ほどフリーで活動していましたが、ひとりで作業していると自分が成長している実感が湧かなくて。少しずつ仲間を集めてスタートしました。

S 最初はどんな仕事から始めたんですか?

代表を務めるSIMONEのクライアントには、ルイ・ヴィトン、資生堂、伊勢丹、レクサス…などなど、リーディングカンパニーの名前が並ぶ。

K 2003年に会社を立ち上げて、3ヶ月経った頃に某ラグジュアリーブランドのグローバルコンペにお声がけいただいたんです。設立したばかりで資金もなく、ダンボールを机代わりにスタッフと会社に寝泊まりしながら準備をしていたら、幸運にもそのコンペが取れて(笑)。そこからですね、本当の意味でのスタートは。あとは特に営業することもなく、人から人へ紹介を通じて広がっていきました。

S ところで、カイエさん個人としては、どんなファッションが好きなのか興味があるんですが。

K つい最近まで、マックイーンやヘルムート・ラングの初期のヴィンテージを集めたりしていました。基本的にはブランドは限定せずにコンサバティブでシックなモードやシンプルで洗練されたストリートなものが好きです。丈や分量感など微細なトレンドの変化は気にしつつ、服に着られてしまわずに、自分の個性で着倒せるもの。あとは靴とバッグの変化で気分を変えるのがセオリーです。

S ファッションに目覚めたのはいつ頃なんですか?

K 思春期だった90年代は、ヘルムート・ラングやアントワープ勢が台頭していた頃で、雑誌だと「i-D」や「FACE」、「purple」が盛り上がって…とファッションシーンがガラっと変わり始めていた時期でした。今では当たり前ですけど、この頃からマルジェラやシュプリームは、違うカテゴリーに属しながらも、カウンターカルチャー的な視点では近いものがありましたね。

S その当時、どんな服を着ていたんですか。

K 意外って言われるんですが、ダブルタップスをよく着ていました。当時、海外出張のときに、現地のモード関係者に「どこのブランド?」って聞かれることも多くて、なんだか誇らしかったのを覚えています。いま着るか着ないかは別にして、ストリートからコンテンポラリーまで、僕の好きなものって実はその頃からあまり変わっていないんです。表現は違っても、服やブランドの背景にある思想を重視しているので。

S カイエさんのスタイルはミニマルなイメージだったから、ストリートも好きというのは意外でした。ところで最近のファッションシーンが、その90年代と似てきているように感じます。東京の若い人たちは、あまりコレクションに影響を受けず、けっこう攻撃的なファッションを楽しんでいるような気がします。

K 90年代前半にコレクションの流れが変わったように、最近は特にラグジュアリーブランドそのもののあり方が問われていますね。若いデザイナーが賞を取り、有名メゾンを引き継いで、支援を受けながら自身のブランドを立ち上げて…という流れがある一方で、ラフ・シモンズがディオールを、エディ・スリマンがサンローランを辞めた(注:ラフ・シモンズはその後カルバン・クラインのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任)。これはもう、今までの流れが一変しそうな気配があります。

S 確かに目が離せないデザイナーはいますよね。たとえばラフ・シモンズの作る服は、コレクションラインでもベーシックアイテムでも、着ることでその考え方に共感を表しているような充足感があります。最近では、ヴェトモンとかもいいですね。1枚着るだけでいまの気分を味わえる。

K ヴェトモン、ゴーシャ・ラブチンスキー、フィアー・オブ・ゴッド周辺は、勢いを感じます。彼らのようなチェンジメーカーの動きは、ハイコンテクストな面白さがあるし、それぞれが違う場所にいながら精神的に通じる部分があって文化的なシナジーを生んでいるのもユニークですよね。ファッションに潜むエンターテイメント性を理解していて、それにまんまと世界中のファッションピープルが巻き込まれているのも面白い。

S ヴェトモンは旋風を巻き起こしていますね!

K ヴェトモンのヘッドデザイナー、デムナ・グバサリアの学生のときの作品を見たことがあるんですが、いまとまったく違うスタイルでしたしね。
モードの本質を現代的に解釈し、あらゆるメディアを使い最前線のファッション的感覚を牽引している。こういったアプローチを二周目と言う人もいるし、三周目という人もいるけれど、僕はこういう動き、嫌いじゃないです。

S 今後ファッションはどんな方向へ向かうと思いますか?

K ここ数年、裾野での多様性が広がり続けている一方、都市部を中心とした世界規模のスーパートレンドも生まれやすくなりましたよね。もう一点顕著なのは、Instagramやsnapchatの影響でフォルムやシルエットの大胆な造形や、ビジュアル栄えするグラフィカルな衣服が溢れるようになった。それらのトレンドを各社が追従することで、いま、マスブランドの没個性化が進んでいます。

S そういった状況で、デザイナーはどういう姿勢でファッションに向き合うべきだと思われますか。

K こういった、ライフスタイルすべてがファッション化するという価値転換を迫られているなかで、デザイナーは一度立ち止まって、ファッションの役割について考え直す必要があると感じています。この大量消費社会で、自分は何を表現したくてファッションに向かっているのか、世の中に求められる服は何か、最終的に価値の残る服は何かということをもっと考えていくべきだと思う。ビジネスのスケールをどう捉えるのか、ブランド寿命をどう捉えるのか、考え方しだいでいかようにもその答えは変わります。

S 俯瞰して、客観的に見る力が必要になるということですね。

K 学んで吸収すべきこともたくさんあります。ヴェトモンやバレンシアガをはじめとする新たなモードブランドのあり方はもちろん、ユニクロや無印良品といったSPAの生き残りをかけた思想の作り方や量産品質に対する投資の捉え方、世界中のローカルブランドのSNSを利用したコミュニケーションの方法、そして何よりも仮想空間でのファッションのあり方に大きく影響するであろうVRの存在などなど…。

未来を見定め服を作ろうとしているブランドは応援したいし、「これでいい」ではなく、「これがいい」と思わせる、長期的な視点に立った強いコンセプトと、美しさを備えたブランドを待ち望んでいます。

S なるほど、今を感じつつさらにその先を見据える視点は、デザイナーだけでなく、僕たちバイヤーも含めファッションに関わる人みんなが持つべきものなのかもしれないですね。
クリエイティブディレクターとして、カイエさんは未来のファッションとどう関わっていきたいですか?今後やってみたいこと、そして夢は何ですか?

K いまファッション以外にもさまざまな業種から仕事のお声がけをいただいています。テクノロジー関係はもちろん、食や住、変わったところでは、医療や遺伝子分野などにも及んでいます。

これらは一見ファッションとは関係がないように見えますが、実際はこの世界で培ったものの見方が生かされる分野です。ファッション価値はこれから衣服とはまったく異なる、例えばフードや医療などの違うかたちに姿を変えながら時代に寄り添っていくでしょうね。

ライフスタイルが可視化され、ファッション化し、IoTが進化している中で新たなビジネスモデルが数多く誕生していますが、そういったことにも耳を傾けながら、腰を据えて10年、20年後にスタンダードになる文化作りに取り組んでいきたいと思います。

S ファッションの価値観が普遍化していく…そんな未来を想像すると、僕たちもモチベーションがあがります。今日はありがとうございました。

「ミニマルなイメージ」と迫村が言うように、インタビューの日も全身ブラックで登場したカイエ氏。最近はブラックしか着ない、とインタビュー後にもBIOTOP2階でブラックの服をお買い上げ。

PHOTO/Ittoku Kawasaki

ムラカミカイエ

1974年静岡県生まれ。三宅デザイン事務所を経て2001年に独立。2003年に、ファッションとビューティに特化したブランディング・エージェンシーSIMONE INC.を設立。国内外の企業の、デジタルを使ったブランディング、コンサルティングを手がけ、数多くの広告賞を受賞。また東日本大震災の被災地支援を目的とするプロジェクト「SAVEJAPAN!」の発起人でもある。

Interview with

迫村岳

(BIOTOPディレクター)

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